すいもあまいも

即売会参加レポブログになりつつある

私が「同人マーク(仮)」を今のところ否定しない二つの理由

「同人マーク(仮)」については以下を参照されたし。

二つの理由とは何か。ひとつは線引き道具としての妥当性、もうひとつは線引き道具としての使いづらさである。

線引き道具としての妥当性

赤松さんはいわゆる「ZIPサイト」やP2Pなどに違法にアップロードされた商業漫画ファイルを「浄化」することを一連の活動の主たる目的としている。その目的に、今回の「同人マーク(仮)」のコンセプトのひとつである「(3)もとの作品の全部または一部をそのままコピーして配布することは認めない(二次創作のみ許容する)こと」は合致する。これはすなわち「複製権は認めないが翻案権は一部(後述)認める」ことであり、デッド・コピーと二次創作の間の線引きが無曖昧となったため、この点においては妥当である。

線引き道具としての使いづらさ

そして、この「同人マーク(仮)」は、今のままではその使いづらさゆえに広く使われることはない、と私は考えている。なぜなら、コンセプトのひとつに「(2)第三者による二次創作同人誌の配布を同人誌即売会で行うことを認める(ただし、デジタルデータは除く)、という意思表示であること」が含まれているからである。「デジタルデータは除く」というのはブログやSNSが普及したこの時代に逆行するコンセプトである。赤松さんともあろうものがTINAMIやpixivの存在を知らないということはあるまいし、クリエイティブ・コモンズ・ジャパンが運営するコモンスフィアがデジタルデータによる文化を考慮しないのもおかしな話である。そして、TPPにより著作権が非親告罪化した世界で警察からの取り締まりに対抗するならば、このような但し書きをつけて対抗できる範囲を限定する必要は全く無いはずである。

おそらく、他の誰かがデジタルデータを含めた翻案権も認めた、「同人マーク(仮)」より使い勝手のいいライセンスを作るだろう。それはピアプロ・キャラクター・ライセンスのような既存のライセンスをより洗練させたものになるかもしれない。いずれにしよ、このままなら「同人マーク(仮)」によるライセンスは使い物にならないものとして淘汰され、静かに消えていくだろう。それならばそれで、我々もただ忘れていくだけである。

以下は余談

これまで赤松さんは法律論になると筋が悪い言動が散見された。自身のサイトでは「絶版漫画とエロ同人は泣き寝入り」という複製権と翻案権を混同させる煽りを入れたり、「二次創作における『意志表示システム』の提唱」では線引き道具たるライセンスに「常識的範囲内」や「堂々と」といった曖昧な言葉を持ち込んでライセンスとして全く機能しない「ライセンス」を提唱したほどである。そういった言動を鑑みると、今回の「同人マーク(仮)」は奇跡的と言っていいほどライセンスとして整っている。おそらく、著作権に詳しい法律の専門家が入って正しく手を加えたのだろう。事実、同マークのデザイン選考委員会メンバーには著作権を専門とする福井健策さんの名前が入っている。